和の衣
2017|着物 ウール、綿
物心ついた頃には、すでに洋服を着ていた。
そこには何ら違和感はなく、それがふつうだった――。
最初に着物を着たいと強く意識したのは成人式のときでした。日本人として、日本の服が着たいと素直に思いました。ただそのときは、みんなスーツだからという理由からスーツを着て行きました。日本人らしい選択と言えばそうかもしれません。
祭事を除けば着物を着る機会はほとんどない。特別な日に着る特別な服、それが着物。正直なところ、古典的な着物を毎日着る日常を全く想像できない。
今の着物が、必要なのだと思います。
衣服を手掛けようと至った経緯には、建築に興味があったことも深く関わっています。
あるとき、町並みは美しいのに、人が映り込むと途端に野暮に見える感覚がありました。明確に覚えているのはミラノに行ったときのこと。町並みだけを撮影すると、どこを撮っても絵になりましたが、私が入り込むとあまり美しくない。私が日本人だから西洋の建築と合わないのだろうと、そのときは深く考えませんでした。しかしながら、帰国後数年が経ち訪れた白川郷でも同様の違和感がありました。日本人なのに景観に馴染めない。そしてある日、何気なく散歩をしていると、唐突に直覚ました。衣服も建築同様に、景観を構成する大切な要素なのだと。
「私物」であるにも関わらず人の目に触れる衣服は「公共物」と言っても過言ではありません。そう考えると、私たち日本人が洋服を着ていること、それそのものが可笑しいのではないか。ここに、衣服を手掛ける大義名分が生まれました。
現状をオセロで例えるなら、盤面には真っ白が広がっています。これらを全部ひっくり返して真っ黒にしてみたい。この遊戯の面白いところは、おそらく、私の人生だけでは達成できないほどの難題であるということ。そして、日本人が洋服ではなく日本人のための衣服、すなわち「着物」を着ることには正統性があるということです。
このような想いから「和の衣」を手掛けました。
当初から古典的な着物を普及させようとは考えていませんでした。それはひとえに人類の進歩として正しくないと感じたからです。他の理由としては、着物を広めている個人の方や団体は数多くいらっしゃいますので、私が関与する必要がないようにも思います。
私にとって大切なことは、現在の着物を様々な文化や思想を許容し取り入れてきた包容力のあるかつての着物本来の在り方にすることです。それが出来なければ、いつまでも着物をはじめ伝統は古典のままであり、伝え繋ぐことができません。とはいえ、初めからオリジナリティを発揮しようと奇抜なものを手掛けてしまうと、型破りではなく型無しになりますので、それでは伝統を繋ぐとは言い難いようにも思います。だからこそ、まずは「型」の継承を試みました。
和の衣で心掛けたことは、仕事場に着て行ける正装感、そして第一印象を着物にすることです。着物の特徴である直線裁断を多用し羽織袴を連想できる、分かりやすい「和」の正装。それでいて洋服のように着やすい衣服を目指しました。
具体的には羽織、袴、襦袢を、スーツの構成要素であるジャケット、トラウザーズ(パンツ)、ワイシャツに相当するものとして再構築しています。
販売サイト | KOHSUKE TODA |
デザイン | 戸田光祐 |
撮影協力 | 三五夜 黒田久義 |
山口越前箪笥 山口祐弘 | |
写真(物撮り) | 株式会社桃屋美術 春日晃 |
2024AW | KOHSUKE TODA |
2024 | KOHSUKE TODA |
2023 | KOHSUKE TODA |
2019 | ほんきもの |
2017 | 和の衣 |