たまもの《私の図案化》
2018|ファインアート
私自身を表現しようと取り組んだ作品です。
とくに必要に迫られた訳ではなく、いずれ必要になるかもしれないという、ぼんやりとした可能性を感じて手掛けたものでした。今こうして日常的に扱うことでようやく日の目を見ることに。
そもそも自分を表現するという行為はどこか気恥ずかしさもあり、要素を抽出し形として表すにあたってはそれなりに時間が掛かりました。振り返ってみればいい機会だったとも思います。
作品づくりはある種、言葉にするという行為とも類似性を感じます。表層に見えている要素以外にも大切なものがあり、どうしても何かを形づくり表現をするという行為だけでは全貌を表しきれない。どこか、もどかしさが生じるものです。
言い換えれば作品を生み出すという行為は、表現されていないものを表現する行為とも言え、その矛盾を常に孕んでいます。
この作品においても「最も大切にするべきものは何か」その核となる本質的な部分をありのまま表すというよりは、それらを内包する象徴としての図案となっています。多くの藝術作品に考察が必要なのはそのためで、誰にでも分かりやすく伝えることを是とするグラフィックデザインの文脈とは全く異なる性格を有しています。
作品を手掛けるにあたっては、私自身を可能な限り客観視しました。無論自分を客観視するということ自体、人間にできる行為であるかについては哲学的な話にはなりますが、正確に言えば客観的主観視をしたのだと思います。
自己を見つめる過程で最も「らしさ」を感じたことは、常に新たな何かに取り組んでいるという生き方でした。ものづくりという一本の軸が通ってはいるものの、その内容は日々変化し、工業も工芸も美術も藝術もデータも手作りも問わない。おそらくこれからも、また別の何かに興味を抱き続ける。このような生き方こそ私のらしさであり、能動的な生き方を図案化における核としました。
その上で、元となる形状については球形が浮かび上がってきました。全てをそぎ落として最後に残る魂の形は、やはり玉のような球体であると感じます。この感覚が民族的な感覚であるのか個人的なものであるのかは定かではありませんが、「たましい」や「みたま」という大和言葉の音から考えても、古くから玉(たま)が人々の魂の形として据えられていたことが想像できます。
また色彩としては赤系統の色に自分を重ねていることにも気付きました。好きな色としては緑青や深い紺色、青み掛かった金など色々とありますが、自分を象徴すると考えたとき、それは赤なのだろうと感じます。
赤というと情熱や活力、あるいはお祝い事などの縁起物を想起しますが、内に秘めたものが混沌とたぎるような感覚が私自身にあり、色で据えるとすればそれは赤以外はないだろうと至り赤系統の色を選択しました。
その他、私自身の性格としてシンプルと装飾や工場製品と藝術作品など、対極的なものであっても好む傾向があり、このような感覚も有するようなものにできたらという想いがありました。
こうして大まかな形と色、そして方向性が決まった訳ですが、具体的に図案化するにあたっては、如何にして平面上で表現するか思案した結果、円をずらして重ねるという極めてシンプルな手法をとっています。
こちらは分かりやすく図解したものです。一見すると機械的な製図のように見えて実は円の数値は綺麗な数字ではありません。また、シンメトリーにせず角度をつけて配置することで、動的であり静的、アンバランスなバランス、機械的のようで感覚的といった相対する要素を共存させ、自らの能動性や対極的なものを好む性格を表現しています。
3つの円にした理由はいくつかあり、ひとつには3点が平面を定めるなど、安定や調和という印象を有する3をずらすことにより、完璧な安定を崩すというコントラストが生じ、対極を表せると考えたこと。また私自身の中に職人的、デザイナー的、藝術家的側面があり、それぞれの顔を同時に表現できたらという想いもありました。そもそも奇数だからなのか分かりませんが、3という不均衡性に魅力を感じていることも3つの円にした経緯に繋がっています。
個人的に気に入っている点としては、単調と歪さが同居していること。これこそが私だと感じています。遠目では大人しくに見えるものの、近づくとその歪さに気が付く。この異常なまでな自己満足の塊を、私はとても気に入っています。
作品名「たまもの」について。
この言葉には、賜ったもの・いただき物という意味の他、結果として生じた良いこと・物といった意味があります。
いつも思うのですが、何か作品を手掛ける際、いつも私個人の能力以上のものが生じている感覚があり、言うなれば知覚できない何かに導かれ活動しているように感じています。それが神なのか森羅万象の何かなのかは定かではありませんが、この加護された感覚をそのまま言葉にするとすれば、作品とは賜物以外の何物でもない。だからこそ「たまもの」と名付けました。玉(円)で出来たものという単純解釈もでき、ここにも対比があることも決め手となっています。
作品を生み出すという行為は表現されていないものを表現する行為と前述しましたが、むしろ意味のないものに意味を見出す行為といった方が合っているかもしれません。
意味なき人生に意味を見出す。
これが、人間なのだと思います。
| アートワーク | 戸田光祐 |