戸田光祐 TODA KOHSUKE|作品と製品|祭り祀られ MATSURIMATSURARE

祭り祀られ|2019
八王子市八幡上町の商店街にて開催される「神々の八幡神楽」という、地域の祭事が開催されるにあたって寄稿文を書かせて頂いた。

戸田光祐 TODA KOHSUKE|作品と製品|八つ巴八角神紋 YATSUDOMOEHAKKAKUSHINMON

日本人にとって自然は、ありとあらゆる神々だ。

神社に祀られている神々はもちろん、太陽も風も山も木も石も水さえも祀る対象であり、八百万の神が存在する。自然への信仰心は強く、例えば雷は、やまとことばで「かみなり」であり「神+鳴り」という意味を有する、雨雲や雷鳴に対する信仰から名付けられた言葉もあるほどだ。狼も「大+神」という音が由来で、畏敬の対象だったことは有名な話。


日本人は、何千年も前からそれら神々に供え奉り、仕え祀る行為を続け、やがて「祭り」という形で豊作や大漁、安泰等を祈願した。祭りの起源を正確に辿ることはできないが、神話に求めるとすれば「岩戸隠れ」になるだろう。

天岩戸に引き篭った天照大御神をどうにか引きずり出すために、八百万の神は知恵を絞り様々な儀式を行う。最終的には天宇受賣命が淫らな姿で踊り、それを見た八百万の神の笑い声が高天原に轟き、天照大御神は思わず姿を見せ再び世界に光が戻った。この神話は、神を招く行為、つまり「神楽」の原点とも言える。


信仰から始まった奉り祀る尊い行為は、江戸時代には現在の祭りに通じる娯楽に近しい行事となり、今では神輿や獅子舞、花火大会など、大衆が親しむ祭事として定着している。特定の分野において秀でた能力を有する者を神と比喩するのも、すでに神という存在が、尊きものから世俗的な存在になったからかもしれない。


ちなみに、自然という言葉は、古来日本には存在しなかった。自然と人工を対立概念として捉えること自体、文明開化の産物だ。つまり日本人は、自然を分け隔てることはなく、自ずから然らしむ存在。

人はそれを、神という。




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戸田光祐

神々の八幡神楽 寄稿文