戸田光祐 TODA KOHSUKE|作品と製品|ほんきもの|本着物 本気者

めぐるの匙/漆のさじ

2022/12

本物の生活道具

これほど贅沢なものづくりがあるのだろうかと、決して煌びやかではない漆器に思いを寄せていました。そんな片思いが実った、人生を代表する作品です。 1854年に開国して以来、様々な分野において西洋文化を取り入れ近代化が進み、人々の生活や慣習が多分に変化しました。多くの恩恵を頂く一方で、そのまま取り入れてしまったことにより、取りこぼしてしまった文化や美意識があるように感じています。
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めぐるの匙/漆のさじ

企画・販売 漆とロック株式会社 貝沼(佐原)航
デザイン 戸田光祐
開発パートナー  ダイアログ・イン・ザ・ダーク
木地 家具のあづま 東福太郎
塗り 吉田漆工房  吉田徹
塗師一富   冨樫孝男
こまつ漆工房 小松愛実

めぐるの匙 特設サイト

漆器「めぐる」オンラインストア

1854年に開国して以来、様々な分野において西洋文化を取り入れ近代化が進み、人々の生活や慣習が多分に変化しました。多くの恩恵を頂く一方で、そのまま取り入れてしまったことにより、取りこぼしてしまった文化や美意識があるように感じています。

このようなことを考えていた2015年に自主企画として「にほんでざいん展」という、小さな展示会を行いました。今一度日本について考えてみたいと思い、知人数名にお声掛けさせて頂き開催しました。その際に手掛けた作品が、この漆のさじに繋がっています。

戸田光祐 TODA KOHSUKE|作品と製品|日本のスプーン

日本のスプーン

Designed & Handcrafted by KOHSUKE TODA

当時発表したのは、お箸のような柄を有したスプーンです。日本にはお箸という優れた道具があり、これ一善ですべての日本食を食べることができる道具ですが、文明開化以降、西洋文化を取り入れる過程で食卓には多国籍料理が並ぶようになり、オムライスやカレーやチャーハンなど、器ではなくお皿に盛りつける料理も食するようになると、お箸だけではまかなうことができなくなり、洋食器であるスプーンが必要になりました。

しかしながら、せっかく数千年も続いたお箸という食文化がありますので、洋食器そのままを取り入れることに、どこか抵抗がありました。このような背景から、お箸と並べても美しくなるような木のスプーンという発想に至っています。

とはいえ当時発表した作品は、まだ足し算のようなもので、1になっていない感覚がありました。あくまでお箸とスプーンを足し算した作品であり、ひとつの確立した存在になっていない状態です。

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それから数年が経った頃、茶杓を取り入れようと思い立ちました。そこには明確な理由はありませんが、スプーンと同様の「すくう」という機能を有した美しい道具であり、お箸とスプーンを繋ぎ、ひとつにできるのではないかという感覚がありました。試作を携えて漆器「めぐる」を手掛ける貝沼さんにご連絡したのは2020年12月のことです。

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2020年10月に手掛けた最初のモデリング。四角から円弧へと、なめらかに変化する柄と節部分はこの段階から浮かんでいました。


ご連絡を差し上げたところ幸いなことに、「めぐる」としても漆器に合うスプーンがあったらいいなと考えていたとのことで、方向性も含めて思想が合致し、その場で製品開発がはじまりました。

このとき、柄の末端を四角としてツボ部分へ向かうにつれて徐々に半円の断面となる形状が浮かんでいました。これがひとつになる重要な要素でした。茶杓の美を造形に取り入れ、最終的にも残る節もあります。試作をもとに貝沼さんとやり取りさせて頂き、漆塗りの最初の実機ができました。

その試作品の検証を、めぐるの漆器に携わってきたダイアログ・イン・ザ・ダークの皆さんにお願いした次第です。

すると大きな発見がありました。それは、こぼしてしまう事例があったことです。茶杓を意識するがあまりにスプーンとしては異例の角度となっていしまっていたのが原因です。目が見えると意識して扱いますのでこぼすことはありませんが、目を使わない場合いつものスプーンと同じように扱うため角度はスプーンに倣った方が良いという結論になりました。

そもそも道具というのは意識的に扱うものではありませんので、無意識に使える道具になる兆しが生まれたことは幸運でした。コンセプトモデルから、生活道具になった瞬間です。それからも何度もやり取りをさせて頂きながら形状をブラッシュアップしていきました。

その一方で、木地をつくっていただける方も探していたのですが、これが本当に大変でした。一本二本であれば作れる方はいらっしゃいますが、それが数百、数千となるとなかなか見つかりません。出来そうな作り手の方が見つかる度に、お願いしては他を探す、という果てしない道のりでした。

光明が差したのは2021 年11月、他のプロジェクトでお会いさせて頂いた、有限会社家具のあづま代表の東福太郎さんを思い出しご連絡させて頂いたところ、製作可能とのご快諾を頂きプロジェクトが軌道に乗りました。

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今回手掛けたさじは形状が複雑な曲面を描いていたため、データを正確に削りだせるNC 加工が必須でした。その上、削っただけでは粗すぎて漆を綺麗に塗れる表面とはなりません。面を整えるには手作業も必須です。あづまさんでは、機械加工と手作業、その双方の技術を高いレベルで有していました。もうここしかないという感覚です。そこからは3Dモデリングを修正しては実際に削って仕上げて頂く途方もない作業を繰り返し、ダイアログの皆さまにもご使用頂き、細部に至るまで使いやすさ、作りやすさ、見た目の美しさを極めていきました。

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漆塗りについては、さすがチーム「めぐる」です。とても美しい塗りを施して頂きました。塗師の冨樫孝男さん、吉田徹さん、小松愛実さん、本当にありがとうございます。

構想から形になるまで、書ききれないほど長い道のりを経て、ようやく完成したのが、この漆のさじです。

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ものごとが調和するように進んでいると奇跡というものは付随するもので、まったく狙っていなかったのですが重量バランスがとても良く、無意識に小さな器に置いていたところ倒れることなく扱えることが分かりました。

丹精を込めて丁寧に作りこんできた甲斐がありました。ものづくりの神様からのご褒美ですね。

もちろん、ここまで丁寧なものづくりができたのは、漆器めぐるの生みの親である、代表の貝沼さんあってこそです。いいものを生み出すという強い志があるからこそ、その志に共鳴した各分野のプロフェッショナルが集い、一丸となって「めぐる」は育まれています。

外観を整えることはできても、製品が生まれる、その工程すべてを美しくすることは容易ではありません。携わる一人ひとりが、よいものを生み出すという気持ちを持っている、このような幸せなものづくりを体現することができ、心より感謝申し上げます。

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お箸と並ぶ姿が美しい食卓を彩る外観。水平のガイドとなるエッジを有する触り心地の良い柄。すっと口からぬける滑らかなツボ。

私の人生を代表する、最高の仕事となりました。

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ほんきもの

2021-2022

衣服は景観だ

衣服に興味を抱いたきっかけは、あるとき町中を歩いていたところ、私たちが着ている衣服も、建築同様に景観を構成する大切な要素だと気づいたからです。 景観の要素と据えると、衣服とはとてもおもしろい存在に思えてきます。個人の身体を保護し着飾る「私物」でありながら、人目に触れ景観を構成する極めて「公共物」に近い存在といえるからです。
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羽織・袴・筒袖

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袴・筒袖

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袍・袴・筒袖

景観の要素と据えると、衣服とはとてもおもしろい存在に思えてきます。個人の身体を保護し着飾る「私物」でありながら、人目に触れ景観を構成する極めて「公共物」に近い存在といえるからです。そして同時に、このような「公私」を越境する存在でありながら、ほぼすべての日本人が洋服を着ている現状に違和感を覚えました。

そうはいっても、毎日着物を着る日常をまったく想像できません。しかしながら、個人を中心とする今の洋服の在り方への疑問も残ります。

どのような在り方が理想的かを考えてみますと、当然のことながら今着れる衣服であるという前提が必要であり、なおかつ個人の趣味趣向という内側からの視点のみならず、景観をも美しくするという全体を俯瞰した視点をも持つべきなのではなかと思います。

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以上のような経緯から、洋服を融和した現今の着物「ほんきもの」を手掛けました。


「ほんきもの」という言葉は、「本着物」と「本気者」を和えた造語です。

着物とは本来、「着るもの」を表しています。「ほんきもの」では本義の着物を手掛けて参ります。

着物=着るもの

歴史的に考えてみますと、現在の「着物」という概念はとても狭義の意味で捉えられています。 どういうことかといえば、基本的には文明開化前夜の衣服のことを示しているからです。文明開化によって、着物は固有の衣服として識別する必要があり、洋服に対して和服といったレトロニムが生まれ、次第に着物にも和服の意味が反映されるようになります。

和服の他にも和菓子や和傘や和家具といった言葉も同様です。異文化が急速に流入した激動の時代の流れの中で、明治以前に確立された衣服を「和服=着物」と呼ぶようになりました。

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「和〇〇」は、洋物と識別するために生まれた言葉であり、本来は菓子、傘、家具と呼称していました。和を冠した途端に、その特徴が掟のようになってしまい変化を許容できなくなった、変化しにくくなったと考えています。

しかしながら、私はもっと広義の意味での着物を手掛けたいと思っています。
つまり「着るもの」としての「きもの」です。

これまでの時代では、異国から伝来した文化や思想を、土着のものと融和し新たなものを生み出してきました。しかしながら現代において着物姿の方は稀です。

これは、文明開化以降、着物とはこうだと定義づけてしまったがために、和と洋を区別して考えるようになってしまった結果、今までの時代のように融和が進まず、極端に別物として扱ってしまった経緯があるからです。

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平安の束帯と江戸の羽織袴を比べて見ても明らかですが、「変化する衣服こそが着物」であると言えます。余談として、江戸で確立された小袖は、平安時代においては下着にあたります。「形式昇格」や「表衣脱皮」の原則と表されますが、衣服の歴史においては、正装や普段着が変化することは常識となっています。

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「ほんきもの」は、これまでの伝統のように、既存の美意識や思想を根底とした上で、頂いた異国の文化を融和した、本義の意味を持つ「着物=着るもの」です。

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美とは何か

日本の美意識を私なりに解釈し再構成した着物が「ほんきもの」です。

このようにお伝えしますと「美とは何か」という根源的な問いが生まれるかとは思います。美の種類は多様であり捉えがたいのも事実ですが、美しさを感じる要因のひとつに統一感、様式美というものがあります。ここでいう美とは、主に統一感、様式美をさすこととします。

ある形式に基づいたつくりや表現が細部に至るまで統制されているとき、人は美しいと感じやすいと思います。もちろん感受性は千差万別ですので断定はできませんが、たとえば古い町並は多くの方が美しいと感じると思います。

なぜ古い町並は、国や地域を問わず美しいのか。その理由を探るとすれば、私は制約が美を担保していたからだと考えています。

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昔の町並が美しいと感じるのは、家を建てる際、情報にしても素材にしても作り方にしても、情報網や交通網といった壁があることで地域ごとに特定の共通項が存在し、必然的に調和のとれた建築群となりやすく、結果として町並全体としての美が生まれたと考えています。現在の社会においては、情報も素材も作り方も、何もかもが自由になりました。その過程で、制約によって担保されていた美を手放してしまったと感じています。

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そうはいっても、全員で同じ服装をしようと促そうとは考えていません。具体案としては、ローカライズした上でパーソナライズをしたらいいのではないかと思っています。

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白川郷を例にあげてみますと、全体の町並はとても美しいと感じますが、近づいてみると意外にも建築それぞれは個性的です。

つまり、共通項があることで、たとえ個性の集まりになったとしても、全体としての美がそこに宿ると考えられます。「ほんきもの」では、このような世界観を目指しています。

継承する美しさ

ひと昔前であれば、何も考えずとも制約が美を担保していた訳ですが、現在では自由であるがゆえに、意識的に共通項や制約を掲げる必要があると思っています。私としては着物に美しさを感じていますので、着物を美しく感じる理由から共通項として掲げる要素を見出し、その本質を現代に継承しようと考えました。

〈 正装にみる美意識の違い 〉


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方法としては、着物の美を浮かび上がらせるために洋服との対比を試みています。主観として、それぞれ以下のような特徴があるように感じました。

〈 正装にみる美意識の違い 〉


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身体を強調する美意識


分かりやすく明快な美
肩の張りやくびれなど、身体ラインを強調する洋服の構造は、誰にでも伝わりやすい明瞭な美を有している。

〈 正装にみる美意識の違い 〉


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身体を未知化する美意識


想像の余地のある美
身体を隠す着物の構造は、本来の姿がどうなっているのか、受け手の想像をかきたてる美を有している。

これら比較による評価は私個人による独断ではありますが、身体のアウトラインを隠し、未知化して想像を掻き立てる着物にとても惹かれていることが分かりました。全てが明らかになっている状態よりも、すこし分からない部分があった方が、私の眼には魅力的に映るようです。

以上のように、余白を纏う性質が着物の美に深く根付いていると感じ、身体を未知化する美意識、想像の余地のある美を継承の柱としました。

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活動の主軸、動機になっていることとして、ひとつの様式美、格式を生み出そうとしていることがあげられます。誰と競う訳でもなく、自らの中で様式美、格式を確立することを目指しています。

近年衣服に重きを置いているのは単純に、どこへ出かけるにしても衣服を身につけなければならないからで、当然のことながら自らの活動の方向性と合致していなければ説得力がありません。


今後更なる構想があります。
ご期待ください。